コロナショックを機に日記を書くことにした
2020年4月4日|なぜ内省的になるのか
物理的な距離と信頼関係
コロナショックがなかなか自分の現実にならないまましばらく過ごしていたが、頻繁に会っている実家の母に感染リスクをもたらす要因について考えたときに「自分がリスクになりうるのか」と思ったことで、ああ、もはや日常は失われているんだなとようやく気づいた。
母は一昨年長年連れ添った夫を病気で失った。感情的になりやすく、いわゆる夫婦喧嘩で癇癪はよく起こしていたが、父が息を引き取った瞬間の「無」になり立ち尽くす様子は、初めて見た母の姿だった。まだ目の裏に焼きついている。ぽっちゃりしているが小柄な母は、カバンを手に持ち、病室でただ、動かない父のベッドを見つめまっすぐ立っていた。
父の生前、母はよく長女である私に、涙がらに父の不満を訴えた。最も古い記憶を辿ると、確か私が5歳のときだったと思う。母が私に抱きついてきたので、母の頭を撫で「私がお母さんを守るから」だのなんだの言って、その場をおさめたような気がする。この瞬間に「私が母を守る役目なのだ」とすりこまれたのであろう。父が亡くなった今では、ずっと「犬も食わない夫婦喧嘩」の緩衝役をつとめていたのだな、としみじみ思い出にふける。
母の持ち前の天然気質が功を奏したのか、浮いたり沈んだりの葛藤を、彼女の世界の中で意外と器用にやっており、1年経った今、祖母の面影を見せるほどに老けはしたが、落ち着いているように思う。しかし、母があの実家に一人で暮らすようになってから、私は常に「役目」を果たさねばならぬ、とそわそわしているのだ。
電話やメールで母の安否を確認しながら、「テレビ電話でもしよう」と話す母はまあまあ気丈にやっているのだと思う。私も私の「そわそわ」でどうしようもなくなってしまわぬよう、母をある程度は信じる訓練をする。「信じる訓練をしなければ」、これがもしかすると、私と母の間でとても必要なことなのかもしれない。
少しだけずれた位置にある日常
今日は天気がよかったし、体を動かしたかったので、近所の公園まで散歩をした。猿江恩賜公園だ。
空は青く、空気は澄んでいて、歩く人たちの表情は(マスクをしていたけど)のびのびとしていた。
気分よく「くるり」を聴きながら桜が舞い散る歩道を歩いていると、なぜかここ20年ほどの出来事が脳裏をかけめぐり、混乱した。
学生時代に江東区でアルバイトをしており、当時付き合っていた彼氏とよく歩き回ったエリアだからなのか、そのころの自分が顔を出し、ノスタルジー大魔王となって私を操る。
ベンチに座り、大音量で音楽を聴きながらビールを飲んだ。
平日の日中に公園でチューハイを飲むおじさんについて、やや偏見の視線を浴びせていた気がするが、今の私は彼らと同じことをしている。ただ座ってビールを飲んでいるだけなのだが、内面は忙しい。過去今未来過去…と内省がすごいのだ。なぜだろう。でも、とても気持ちがいい。公園と内省とビール。最高だ。
おじさんたちがどういう気持ちで、どういう動機で昼間から酒を飲んでいるのか、そんなことは詮索してはならぬ。ごめんなさい。言語化できないこと、たくさんある。
毎年この時期は昼から酒を飲み、公園で転倒し、寒さに震えながら居酒屋でさらに飲み、何かしら不用意な発言などして自己嫌悪に陥るのだが、今年はそれもない。