2021年1月3日|金継ぎはもうできない

あきらめきれなかった「ていねいな暮らし」

10年ほど前に手作りした器が割れた。割れたときは「ついにきたか」と思った。「こうしてきてほしくないことは突然くるんだな」と妙に冷静に状況を飲み込み、なぜかすぐに割れた器の細かい破片のみを掃除機で吸い、「金継ぎで修復しよう」と残った大半を冷蔵庫の上にそっと置いた。

 

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器を作ったのは10年ほど前か。当時新婚だった私は寝る間もなかった会社を辞めたばかりで、ぐうたらしていた。ぐうたらの大義名分としては今まで粗雑に扱っていた「暮らし」の再構築である。衣食住を見直すことで感性を呼び覚まし、「水が甘い!」とかなんとか言い出すことが正しい生き方だと盲信していた。嫁に専業主婦になってほしいと目論でいた当時の夫も私には甘く、昼過ぎに起き出して再放送のドラマを堪能したあとようやく夕餉を準備する、というどうしようもない生活をする私に対し「いい行いだ」と満足そうな笑みをうかべていた。都市部に近いエリアに住んでいたにもかかわらず、近代的なスーパーを敬遠し、団地から至近の青果店精肉店で歯が抜けたおっさんと「今日は何がおすすめ」とかなんとかかうわべの会話をし、「新鮮&安い」風の素材を購入したうえで化学調味料不使用の晩飯を作る。これが何かに対する贖罪になると思っていたのかもしれない。ともかく、それさえやっていれば、なにか「精算される」と感じていたように思う。何に対する精算なのか考える余地もなく、ただ夕方になると何かに掻き立てられたように目を血走らせ、毎日毎日台所に立った。

 

そんな日々の限界は、突如きた。ソファーにゴロゴロと横たわりながらドラマに飽きてザッピングしたついでに健康番組を見ていると、「骨粗鬆症」のコーナーが目に入る。「骨がスカスカになり、少しの衝撃で折れやすくなります」。あ、これ…。

 

私のこころ

 

そう思った。だめだ。そういえば、なぜ小高い丘のようになった団地から眺める夕日を見てただ涙を流しているのか。なぜ枯れた秋風が舞う公園で500mlの発泡酒を飲み干しているのか。なぜ高校生の頃に別れた彼氏にメッセージを送っているのか。

 

 

半壊している、いわばびんぼっちゃまスタイルの心で、夫にかろうじて表面の笑顔で言った。「と、陶芸しようかな…」。

 

夫は少しばかり眉をひそめ「無理しないように」と答えた。陶芸で無理とは何か。なにかの修行でもすると思ったのかか。前人未到の山奥まで土を掘り起こしに行くとでも? あほか。べらんめえ。とまで思ったかはさておき、当時の私は夫の反応などは気にしていられないほど、切羽つまっていた。

 

当時住んでいた横浜市はとかくに坂や丘が多い。私が赴いた陶芸スポットもバスで20分、三渓園というちょっとした地域の観光地付近で、徒歩だと息切れするような場所にあった。

 

陶芸スポット=教室ではない。ただ小屋の中にろくろと窯があり、道具を貸し出してくれる。予約制で、指定した曜日に行けば自分の好きなペースで作陶できる。誰とも会話することなく、静かに失敗したり成功したりできるのだ。当時の私にはそれがよかった。陶芸教室は嫌だった。誰かに、自分が何者かを説明し、そのうえでこのふるまい、そしてこんなものを作っています、そんな説明的かつ辻褄合わせのコミュニティはストレスでしかなかった。ただ、作らせてもらえる場所がほしかったのだ。

 

そもそも、なぜ陶芸なのか。大学時代に陶芸サークルに入っていたからだ。そこはよかった。社会性もなく、アイデンティティもなく、いわゆる「メンヘラキャラ」でも誰も何も言わず、愛想なしでも存在していられた。「認められる」という実感もなくただ「作って帰る」という部室があり、自然と酒を飲み、作ったら下手くそでも自動的に作品展に出展され、無表情でそこにいていい。なぜそんな私が陶芸に手を出したのか、きっかけはもはや確たる記憶がないが「下手と上手いとか競争とかない」ところが神聖で、「無」をアウトプットできる装置であると認識していたので「心が骨粗鬆症やん」と思った私が陶芸にすがったのであろうと今では思う。

 

そんな私はいわゆる「自意識」を捨て、腰の曲がったおじいちゃんとおばあちゃんの間で毎週無言で作陶した。朝は苦手だが、土曜の朝バスに揺られエプロンをし、顔に泥を飛ばし、ろくろをまわす。ああ、自意識が入っていない状態で回された器は見てて気持ちがよい。すっきりとして丸く、薄い皿や茶碗が出来上がった。化粧土で皿に模様をつけ、焼き上がりを見た瞬間「不器用な私がこれを…」と立ち尽くした。ボランティアの奥様たちが「あなたのこのお皿、とても素敵だからみんな出展したらいいのにと言っていたのよ」と声をかけてくれた。出展か…。ああ、懐かしい。「ありがとうございます、でも持ち帰ります」と言った。密度が上がった感覚がした。その、5ヶ月後くらいかで、陶芸通いを辞めた。編集者として再び仕事を始めたのだ。そして、夫と離婚した。

 

あれから7年、よくできた器は私を励まし続けた。自意識を忘れた私も捨てたもんじゃない。強がり飾った私に対し、エールを贈ってくれた。一人用の狭い部屋のキッチンでちょっとした漬物を盛る。徹夜明けの休日、自作した煮物をよそう。これで「精算」ではない「生産」を感じた。紆余曲折経てキッチンは一人用ではなく、再び誰かと共存するためのものとなった。ちょっとずつでいい、自作の器と格好つけた美術品の器、どちらも私らしいと思えるように。そんな矢先、手を滑らせ、いちばんよくできた赤土・化粧土の軽い皿を割ってしまったのだ。

 

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金継ぎ、は前から気になっていた。器は好きだが日用品、手元が狂えばいつかは割ってしまう。私はとてもがさつだ。せっかちで、生き急いで、因果をつきつめ誰かのせいにしなければならず、ものを大切にできない。本当は何も壊したくはないのに。でも、金の繊細な細い線で割れたかけたを継ぎとめるその手法に対し、壊しがちな自分に対する救いを見た気がした。自分の過失で壊したものを、以前より美しく、生まれ変わらせることができるなんて。

 

割れた器を見た瞬間「金継ぎだ」と思った。不注意はがさつとは違う。大切にしていないわけではない。私は、悪くない。よかった。むしろ、正しい暮らしをしている。そんなわけのわからない脳内補正が入ったのか、すっと器を冷蔵庫の上に置いた。そして、スマートフォンの検索窓に「金継ぎ 自宅」と文字を打ち込んだ。

 

数日してマンションの宅配ボックスに届いたのは小さな箱。明朝体で「金継ぎセット」と書かれている。ああ、これで私は積み上げた日常を雑にぶっ壊したワーカホリックの中年女ではなく、丁寧にモノを愛せる人間になれるんだ。そうして「金継ぎセット」と割れた皿を横目に年末進行を抱え3週間、茫洋と過ごした。なぜキットがすぐ届いて「継ぎ」をしなかったのか。それは…。「今心も体も疲れているし、雑然と行ってはならぬ」という現実逃避(=めんどくさいを正当化)したためだ。まだだ、まだだ…とタイミングを長めにとった年末休暇の8日目。金継ぎに対しどれだけ心も体のエネルギーを要するものだと認識していたのかいないのか、実家から自宅へ帰った本日、ついにキットを開封した。すると、目に入ってきたその文字に、動揺する。

 

金継ぎには漆を使います。

漆は手につくとかぶれます。

皮膚が弱い方は直接手に触れなくても、かぶれます。

 

  

 

漆?

  

 

え? 金継ぎって、割れたところに金塗って、いい感じにするんじゃないの? 何? 漆って…

 

幼少期、山道で無邪気に遊ぶ私に母は言った。「漆があるからむやみに草はさわっちゃだめ。漆をさわると恐ろしくかぶれるのよ。かぶれるのよ。漆、かぶれる…う…漆…ダメ…!!!!!!!!!」

 

母の漆NG発言(というか呪い)はトラウマとなり、40を手前とした今でも自然にふれるたびに思い出されることとなった。漆…ていねいな暮らしがしたいのに、漆が手前に立ちはだかる。キットの説明書を読めば読むほど「漆、直接触るとかぶれるってよ」と強調されている。金継ぎの説明書というよりかは、むしろ漆をさわると手がかぶれることの恐怖に対する訴求のほうが強いのではないか…。

 

キットにはご丁寧に外科医がオペでするようなゴム手袋が同封されており、取り急ぎ手首を垂直に立て「ビチ」っと装着する。メス!! ではなく説明書を手に取り美しい金継ぎで蘇った器を手にするまでにどうすべきか文字を読み取った。

 

すると…ざっとこのようなことが記載されていた(途中苛立ちで酒をあおったため記憶があいまい)

・漆を炊いた米粒とまぜてヘラや筆にとり、断面に塗るべし

(※心の声:「米粒!? 我が家は目下ロカボ中なので炊いた米とかねえっす」)

・湿度が80%くらいあるところで乾くまで保管すべし

(※心の声:「じっとりしてるところで乾かせってどういうこっちゃ」)

・乾いたらテープで割れたかけらと断面をはっつけ

・はっついたら金でついで…(もう読めなかった)

 

ああ、もう米とかないし、漆って最強そうだかとりあえず塗ってみよう。いいよ。なんとかなるよ…と手袋をした手で断面に漆を塗るも、「かぶれ」に対する恐怖で落ち着かない。説明書には漆を塗った筆は同封されている特殊な油で洗浄せよ、と書かれているがそれの油をどうすればいいのか書かれてはいない。どうすんねんその油。 

 

というか、そもそも「めちゃくちゃかぶれる漆」を塗った器に金をコーティングしたところで、かぶれ要素満載の器に入れた食べ物を食べたら死ぬのでは…。どこまで洗えばかぶれ要素が消えるのか…というか、漆をこれ以上この部屋に撒き散らしたらかぶれで死ぬのでは…?????????? 

 

そして、割れた皿と金継ぎセット、もろとも…  

 

  

 

何がなんでもかぶれたくはない

漆=かぶれ、これに対する恐怖によって、ひきこもごもが詰まった器を金で継ぐことはなくなった。

 

陶芸をすれば手肌は荒れる。土を触れば水分を奪われ、爪も指も乾燥する。顔に泥は散るし、服は汚れる。登り窯の温度が1300度に上がるまで、薪をくべるとなると全身ススで真っ黒になるし、全身2〜3日は焦げ臭い。そんなことを知ってやって経てはいるのに「漆で手がかぶれる」に対しては有無を言わさず拒否反応が出てしまったのだ。

 

ああ、私はあの時代に丁寧につくった器をもう修復すらできないのか。

 

手指は適度な水分や油分のある状態に保ちたいし、衣服は清潔でいたい。できれば常に風呂上がりみたいな状態でいたいし、ホコリや土は部屋に存在すべきではない。

 

この欲求がもはや老化現象なのか?

わからない。私は手がかぶれるリスクまでおかして金継ぎはできない。そして、器と金継ぎセットを無きものとして…